北京オリンピックの目玉「マイケル・フェルプス」選手

北京オリンピックの目玉「マイケル・フェルプス」選手

北京オリンピックではもちろん超一流のアスリートが多数出場しますが、その中から史上最多となる「金メダル8個」を狙っている米国の競泳選手である「マイケル・フェルプス」選手についてご紹介します。

マイケル・フェルプスは北京五輪の最大級の目玉といえる選手だと思います。
アテネ五輪では、前人未到の8冠こそ目指しましたが、獲得した金メダルの数はなんと6つにものぼります。
多くの選手が夢見て目標にする金メダルを1大会で6個も獲得し、しかも「6個に留まってしまった」と表現されてしまうことは、スター選手の宿命でしょうか。
北京では再度、米国のマーク・スピッツが保持する、1大会で最多金メダル獲得数(7個)を更新する活躍が期待されています。

フェルプス選手の泳ぎは、ダイナミックさと緻密さを両方兼ね備えています。
恵まれた体格を大いに生かした豪快な泳ぎは周知の事実ですが、それに加え最後まで崩れることのない正確なストローク、フォームが他選手を圧倒している一番の理由と言えるのではないでしょうか。
馬力も兼ね備えた精密機械のような泳ぎに匹敵できる選手は多くはないです。
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北京オリンピックで新たに加わる種目とは?

北京オリンピックで新たに加わる種目とは?

北京オリンピックでは多くの競技・種目で熱戦が繰り広げられますが、北京オリンピックから新たに増える種目をご紹介します。

まず、陸上競技では「障害レース」という種目が新たに始まります。
また、水泳競技での新種目「10キロメートルマラソン」、これはプールではなく海や湖で泳ぐ種目です。
トライアスロンの水泳の競技の部分を取り出したというイメージの種目でしょうか。

そしてセーリング競技の種目は、艇種によって分かれており、「RS-X」とは簡単にいえばウィンドサーフィンのことです。「レーザーラジアル」というのは、レーザー級と呼ばれている艇種より小型のものになります。

「BMX」とは、bicycle motocrossの略ですが、名前だけ聞くと、若者層が街中でやっている感じの自転車の曲乗りのようなものを想像するかもしれません。
オリンピックの種目となったのは、ジャンプやバンクが多数あるコースを走り抜けるというレースです。

ざっと見てこれらのような種目が新たに追加されています。
競技そのものは知っていたとしても、より複雑かつ奥深い世界が広がっているということを再認識しました。
新種目にも大いに注目しましょう!
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北京オリンピック競技「近代五種」

北京オリンピック競技「近代五種」

オリンピックの競技「近代五種」についてご紹介します。

近代五種の歴史は、古くは紀元前708年、古代のオリンピック・ペンタスロンの競技記録で見られます。
近代オリンピックでは、1912年のストックホルム大会で正式種目になりました。

近代五種は一人の選手が1日で射撃(ピストル20発競技)、水泳(200m)、馬術(クロスカントリー4km)、フェンシング(エペ)、ランニング(クロスカントリー)の五種目を行う競技です。
全く異質のいくつかの種目に挑戦するという限界に挑むかなりタフな競技といえますね。
シドニーオリンピックから女子種目としても加えられました。

また、毎年ワールドカップや世界選手権大会も開催されており、男女とも個人競技、団体競技、国別リレー競技があります。
競技人口は、世界48ヵ国でおよそ3万人、日本国内では約100人といわれています。

日本人選手が近代五種に初めて参戦したのは、1960年のローマ大会です。
田中和宏選手と内野重昭選手の2名で、それぞれ35位、38位という結果が残っています。

北京オリンピックでも近代五種にも注目してみてくださいね。
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北京オリンピック競技「クレー射撃」

北京オリンピック競技「クレー射撃」

オリンピックの競技「クレー射撃」の種目にはトラップ、スキート、ダブルトラップの3つがあります。

まず「トラップ射撃」ですが、1750年頃のイギリスが発祥だそうです。「トラップ」とは罠のことですが、トラップ射撃では生きている鳥を罠のような箱に入れて、号令と共に開け、鳥を飛び立たせ射撃したそうです。
880年代になると、英国のマッカスキーという人が石灰にピッチを混入し、焼き固めるといった現在のクレー標的を考案したそうです。

次に「スキート」は狩猟用の猟銃を使って猟の練習のためにアメリカで考案された射撃です。
半円の直径部分の直線上に標的放出機を2機設置し、1個または2個のクレー標的を射撃するといったスタイルが1920年頃に確立しました。

そして「ダブル・トラップ射撃」は、とても歴史の新しい種目で、1996年のアトランタ大会で初登場し、北京オリンピックで4回目になります。
この種目はトラップ競技の射面を兼用して使用することが多く、3番射台前方の3基の放出機から2個標的を同時に放出して、これを射撃するといった種目です。
男子は1番射台から5番射台まで順に2個ずつを5回繰返し、50個で1ラウンドです。
女子は4回繰返し、1ラウンドは40個となっています。
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北京オリンピック競技「馬術」

北京オリンピック競技「馬術」

オリンピックの競技「馬術」についてご紹介します。

馬術競技のは唯一の男女差がまったく無く、そして、動物と一緒に行う競技です。
人と馬との共同作業は、中国やエジプト、そしてペルシャといった数多くの古代文明に遡ります。
馬を用いた競技は古代オリンピックにシャリオ・レースというものがありました。
近代、オリンピック・パリ大会において馬術は正式なオリンピック競技となりましたが、その当時の競技は障害飛越の1競技のみでした。
しかし、1921年に開かれた国際会議の結果により、オリンピックでは3競技といわれる馬場馬術(ドレッサージュ)と、障害飛越(ジャンピング)と、総合馬術(イベンティング)の3つでで構成するということが決められています。


日本の馬術競技におけるオリンピックへの参加は、1928年アムステルダム大会からです。
1932年ロサンゼルス大会での大障害飛超競技で、西竹一がウラヌス号で金メダルを獲ったことは有名です。

北京オリンピックでも馬術競技は行われますので、興味のある方は注目してみてくださいね。

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北京オリンピック競技「ライフル射撃」

北京オリンピック競技「ライフル射撃」

オリンピック競技「ライフル射撃」について少しご紹介します。

射撃競技は15〜16世紀にヨーロッパを中心に銃器の発達に伴い世界に広まりました。
また、15世紀のドイツ・ケルンの射撃クラブで競技が始められたという説もあるようです。

ライフル射撃は1896年アテネ大会からの歴史を持っているオリンピック競技です。
また、参加国数は非常に多く、意外にも陸上競技に次ぐ多さとなってます。

競技の種目は、使用する銃の種類や銃を構える姿勢、弾の数ごとに決まっています。
肉体的な耐久力をそれほど必要としないので、幅広い年齢層にファンが多い競技です。
肉体的には楽な反面、その分強靭な精神力が必要とされるスポーツなので、いかにして集中力を高めたり維持したりするかが勝負の分かれ目といえる競技ですね。

日本国内では現在、この射撃スポーツをおよそ1万人が楽しんでいます。
特にビーム・デジタルライフル銃を使った競技は年令制限がないので、誰でも参加することができます。
この競技に日本は1952年ヘルシンキ大会よりオリンピックに参戦しています。

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北京オリンピック競技「セーリング」

北京オリンピック競技「セーリング」

北京オリンピックの競技「セーリング」についてその歴史など少しご紹介します。

セーリングは第2回オリンピック・パリ大会から正式に競技が行われました。
初期の頃はキールボートクラスが主体だったようですが、1984年の第23回ロサンゼルス大会より、いわゆるヨットと称されるものに加え、ウインドサーフィン(ウインドグライダー級、レヒナー級)が採用されました。

ヨット競技とは、レース海面に設置されているブイを定められた順序に定められた回数分回り、フィニッシュした時の着順によって順位が決まるスポーツです。

2004年の第28回アテネ大会ではセーリングは9の艇種と11のクラスで競技が行われました。
9艇種とは、まず、ディンギーと呼ばれている470級(男子・女子)それからレーザー級、49er級、ヨーロッパ級、フィン級。
あとは、ウインドサーフィン・ミストラル級(男子・女子)、キールボート・スター級、カタマラン・トーネード級、イングリング級です。


日本がセーリングでオリンピックに参戦したのは1936年の第11回ベルリン大会からだそうです。
その後第二次世界大戦で一旦中断されたものの、1952年の第15回ヘルシンキ大会より復活。
オリンピックでは、1996年のアトランタ大会で、470級女子の重由美子・木下アリーシア組が見事銀メダルを獲得しています。
北京オリンピックで日本勢の活躍に期待しましょう!!
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北京オリンピック競技「ウエイトリフティング」

北京オリンピック競技「ウエイトリフティング」

北京オリンピックの競技「ウエイトリフティング」について少しご紹介します。

ウエイトリフティングはオリンピック史上では、1896年アテネ大会で「片手ジャーク」と「両手ジャーク」の2種目が行なわれています。
さらに1904年セントルイス大会でも競技(2種目)が行なわれましたが、その当時は体操競技の中の1種目として実施されていたので、階級分けなどもありませんでした。

その後1920年アントワープ大会で初の単独の正式種目となり、種目は片手ジャークと両手ジャーク、それから片手スナッチという計3種目に増えました。
階級もフェザー(60kg)、ライト(67.5kg)、ミドル(75kg)、ライトヘビー(82.5kg)、ヘビー(82.5kg以上)と全5階級に。
日本からは愛媛県出身の白石勇選手が1952年ヘルシンキ大会において単身で参加したのが初めてとなっています。また1987年からは女子の世界選手権も始まっています。

そして、1960年ローマ大会において、三宅義信選手(B級)が見事銀メダルを獲得しました。
同競技で初めてのメダリストが誕生したわけです。

さらに1964年の東京大会でまたも三宅義信選手(Fe級)が前回大会の上を行く金メダルを獲得。
また、一ノ関史郎選手(B級)、大内仁選手(M級)が銅メダルを獲得するなど大健闘でした。
それ以降、ウエイトリフティングはオリンピック競技においてメダル獲得が期待される有望種目のひとつとして加わったのです。
北京オリンピックでも日本勢の活躍に大いに期待しましょうね!!
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北京オリンピック競技「トライアスロン」

北京オリンピック競技「トライアスロン」

北京オリンピック競技「トライアスロン」についてご紹介します。

トライアスロンとは、1974年、非常に健康志向が高いとされるアメリカ西海岸カリフォルニア州のサンディエゴで誕生しました。そう考えると、まだ比較的新しいスポーツですよね。

トライアスロンは、「スイム」「バイク」「ラン」という3種目を連続で行う競技です。
トライアスロンが開始された当初、距離や競技の組み合わせパターンがいろいろと試されました。
そして、1982年にスイム1.5km、バイク40km、ラン10kmのトータル51.5kmが正式に設定されました。

現在の世界選手権など全世界で行われる8割以上が、このような「ザ・トライアスロン」と呼ばれる規定で開催されています。また、競技の人気が高まっていき、いまや160カ国を超える国でトライアスロンは行われています。
それと同時に種目の細分化が今進んでいるんですよね。

日本で初めてトライアスロンが実施されたのは、1981年鳥取県皆生温泉です。
その後、1985年に沖縄県の宮古島、また、琵琶湖で長距離レースが開かれ、そして天草で、ザ・トライアスロンが国内で初めて開催されました。

日本でもトライアスロンは急速に人気を集めており、年間で200以上もの大会が全国各地で開催されるようになっています。
北京オリンピックでも注目してもらいたい競技のひとつです。
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北京オリンピック競技「フェンシング」

北京オリンピック競技「フェンシング」

オリンピックの競技はいろいろなものがありますが、その中で普段日本人にはあまり馴染みのない競技も結構ありますよね。
北京オリンピックでも行われるそれらの競技のひとつ、「フェンシング」について、少し歴史などを交えながらご紹介します。

フェンシングの原形は、中世の騎士による剣技にあるとされています。
その後、火器の発達によりフェンシングは戦闘手段としてはかなり後退してしまいました。
しかし、剣の繊細なテクニックが多くの人々を魅了し、19世紀末頃にはヨーロッパ各地で競技として盛んに行われるようになったそうです。

そして1914年6月にパリで開かれたIOC総会で「競技規則」が採用されたのでした。
これはオリンピックの全種目(フルーレ、エペ、サーブル)に適用するために討議と検討がされた末、満場一致で可決されたものです。現在の国際フェンシング連盟(FIE)ルールの原典にもなっているそうです。
また、競技の判定は当初は肉眼にて行われていたものですが、1936年にエペ種目に電気審判器が導入されました。そして、その電気審判器の公正さが確認されてから、競技人口も急激に増えたと伝えられています。
その後、残りの2種目についても電気化がなされ、現在に至っています。

日本のオリンピック参加は、1952年ヘルシンキ大会、1956年メルボルン大会に視察員として参加を経て1960年ローマ大会で初めての選手団派遣をしています。
1964年東京大会でついに男子フルーレ団体で4位入賞、という快挙を達成しました。
その後オリンピックには毎回出場しているものの、残念なことにこの記録は未だに破られていません。
ぜひ北京オリンピックの日本勢の巻き返しを期待したいものです。
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